<株式会社フラット4代表取締役>小森隆 さんのワンダーランド
「戦争のための防空壕じゃ悲しすぎると思ってね。この時代には平和のために使ってあげたいから」洞窟のあるワンダーランドへ、ようこそ。
ここで何が起こったのか、僕は何を見ていたのか、意味朦朧としたままその日が過ぎた。ただ印象に残っているのは、ハリウッドがとても元気だった頃の80年代の半ばに映画「ザ・グーニーズ」の世界に飛び込んだように、暗い洞窟の中を手探りで進んでいく、心が大騒ぎした1日だったということ。
小森さんがフォルクスワーゲンのパーツを世界一販売している人物として世界中から愛されていることは、つとに有名だが、そのサクセスストーリーは他者に委ねるとして、このワンダーランドの話を進めよう。
車好きが高じて「自然の流れ」のようにワーゲンの事業は成功を収めた。一方で1950年代から小森さんが没頭したもう一つの遊びがサーフィンだった。サーフレジェンド、テッド阿出川さんを師と仰ぎ、小室マーボー正則と海で共にした。この家の写真盾にもグーフィーフットのライディングが白黒で飾られている。
「いつかは湘南で暮らしたい」
ワーゲンのパーツの事業が成功を収め、そろそろ引退も考える頃、そんな思いを抱きながら、「15年間かけて三浦半島から伊東まで200か所余りをロケハンし」土地を探したという。まだ完全にリタイアできないから、条件は東京から渋滞なくアクセスが良いこと。そんな折、真正面に富士山、右手に江ノ島が望めるこの山にたどり着いた。三浦半島、佐島の丘の2000坪の傾斜地だ。しかし、今のように海沿いの暮らしがまだまだ注目されることが少ない時代で、そこは周辺住民のゴミ捨て場、不法投棄の山だったそう。
大きな母屋ははじめ、「椰子を種から育てる温室ハウス」、ツリーハウス、プールと次から次にワンダーランドは敷地を広げていった。
麓の方に戦時中の防空壕があるような話は聞いていたそうだが、いつしかきつい傾斜を降りていくと重い扉の先に長く続く防空壕の存在を確認する。この洞窟の存在が、小森さんのものづくり精神の琴線に触れてしまった。さらにワンダーランドの開拓が進む。そしていまだに完成を見ない。まるでサグラダファミリアのように。
丘の上の母屋から自家製のトロッコのエンジンをかけて傾斜50度の丘を下る。
生い茂る草木の先に見える重い扉を開いて中へ入る。ここから始まる「グーニーズの世界」。まだパラパラと土が崩れ落ちるところもあるが、しっかりと鉄骨で補強された道は安全性が担保されている。カフェスペース、居酒屋、お風呂と次々と現れるエンタテイメントゾーンは、まるで縁日の道を歩いているような気分だ。どんつきの大きなバーはミュージシャンのためのステージだ。いまもたくさんの著名人が集まって、パフォーマンスを繰り広げているらしい。
ただ古いものを愛することでなく、もったいないじゃないかという思いが勝り、防空壕はエンタテイメントの舞台として今幸せに生まれ変わっている。
「防空壕も戦争のためのものじゃ悲しすぎる。この時代には平和のために使ってあげたいからね」と。
軽くカルチャーショックを受けた僕は、息を切らすように扉の外に出た。折しも初夏の太陽が眩しくて、まるで映画館を出た観客のような錯覚に陥っていた。
小森隆*1946年東京都神楽坂生まれ。幼いころから車好きで、20代の頃3年間をかけてフォルクスワーゲンをレストアしたことがきっかけで、1976年オールドVWファンにとって「東の聖地」ともいえるフォルクスワーゲンの自動車部品・企画開発・製造販売、輸出入などを事業とする株式会社 フラットフォーを創業。アメリカ文化が大好きで20歳頃にはサーフィンにも没頭しサーフボードを積むためにVWを購入したほど。2003年佐島に2000坪の土地を取得して、さまざまな遊びを満喫している。