相田敬介さん
<家具蔵(株式会社カグラ)代表取締役>
取材・文◎藤原靖久
ポートレート撮影◎山本倫子
取材協力◎株式会社カグラ
上質なものは上質な時間を過ごす空間を作り、
人の寿命の何倍も輝きを放ち続けると思います。
*以下敬称略
*手作業にこだわったものづくり
二代目相田敬介の父、相田貞夫は幼少のころ、周囲から手先が器用だと褒められ、
18歳で洋家具の職人として歩みを進めた。戦後間もない頃ではとても珍しかった。
高度経済成長の中で、ニッポンが畳での座の生活様式から、イスとテーブルの生活様式に突入し、
椅子が量産されていった時代だ。
家具作りには木の特性を知るだけでなく、原木の目利き、加工技術などクラフトマンシップともいうべき職人の技術が求められる。写真は家具蔵の創業者相田貞夫さん
生産性の向上を理由に機械化が進む中、相田貞夫はあえて手作業を残そうとする。
それは機械では出せない滑らかで美妙なラインや絶妙な接合技術、
また木が本来持っている美しさを引き出すものづくりをしたいからだった。
時は過ぎ、相田敬介はサラリーマン生活を5年間過ごして27歳で家業に入る。
父のあとについて原木の買い付けから工場の現場、営業をも経験していった。
特に原木の買い付けは、育った場所や環境から木の中を読む力、見極める力が求められたという。
当時の高級家具のおもな販売取引先は百貨店だった.
デパートを通じて顧客に販売される流通形態だ。
ある時相田は、百貨店からの注文に現場が納得して物を作っていないことに気づく。
流通にデパートが介在することで、作り手の思いとお客様の思いが一致していないことに気づいたのである。
「直接お客様のご要望をお聞きしながら、ものづくりができないものか。
その方がお客様にもっと喜んでいただけるし、職人も納得してものづくりができるのではないだろうか」
*直営店
家業を引き継ぎ、1995年平成7年に出店した第1号店が今の表参道本店(現一枚板ギャラリー)。
妻とたったふたりでお客様に対応した。
工場と職人という戦力を保持していたからこそ実現した「工場直営店」であるが、それは挑戦だった。
そもそも木と人間との関係、木の家具のこと、椅子のこと、テーブルのこと、
木の買い付けのこと、そしてものづくりの話、
相田が夜明けまで何時間でも語り続けられるような話を、
直接お客様と顔を合わせてできる場が、直営店だった。
相田が願った、家具販売の新しい流通形態が確立されつつあった。
その後の吉祥寺、自由が丘、横浜元町、銀座と店舗を確実に拡大していった。
*木という身近な素材
相田が木について語るには、相応の時間が必要だ。
終わりのない木への思い、礼賛、畏敬の念さえ感じ取れる。
木には、調湿効果をはじめ、人の手や足で感じることができるぬくもり、
木目の美しさ、フィトンチッドという木の香りが人の精神安定や抗菌、防虫、消臭の効果など、
探れば探るほど「木に魅せられていった」という。
(椅子2脚)使い始めから(右)5年がたった(左)チェア。木の家具は人と同じように年をとる。そして年月とともに表情を変えながら味わいを増していく。5年の年月を経た木のチェアは成熟した独特の味わいを醸し出す。相田敬介さんはそれを「時間の色」と呼ぶ
「暮らしの中に木の恵みを取り入れることで、人は想像以上の安らぎを感じ取ることができます。
森林が国土のおよそ3分の2を占める日本では、先人たちは木から様々な恩恵を授かってきました。
代表的なケヤキは神社仏閣の建築材として、またナラやタモなどの硬くて粘り強い材質の広葉樹は、
日常的に酷使される身の周りの道具に利用されてきました。その後様々な工業材料が誕生しましたが、
近年では特に健康への配慮から、住宅建築における自然素材の需要が高まってきており
構造材はもちろん、床や壁などの内装材、建具や窓枠まで無垢材が好んで使われています。
このように日本人と木との関わりを振り返ってみると木という素材に
並々ならぬ思い入れを感じることができます。
実際日本人ほど木を愛好する民族は、世界中のどこにもいないでしょう。
どんなに時代が変わっても、私たち日本人の心の中から木への愛着や
信頼感を消し去ることはできないと思います」
<次回へ続く>