材木屋が木を売ることはごく自然なことだが、いざ住宅の建築を手がけるとなると商売上さまざまな軋轢がうまれる。
にもかかわらずキリガヤは「木の家」を作りはじめた。
それは無垢の木への熱い思い、そして木を売ることを生業とする者の、貴い矜持だった。
Q:まず、材木業である(株)キリガヤが住宅建築を手がけたきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
木を建築資材として販売していたときに無垢の木を使ってくださいとお願いしても、使いにくい、高いなど、なかなか無垢の木を使っていただく機会が少なかったのです。また、当時は無垢の木イコール杉や檜といった感覚で、冗談で、お寺みたいな家になるんだろうなどと言われていました。さらに時代的にも大手ハウスメーカーはどんどん洋風になる。ですからそのような反応が強かったのです。データ(アンケート)を取ってみると「木を使いたい」というご意見は8割もありましたが、実際、最終的に「木を使った方」となると1割ほどになってしまう。なぜだろうと分析してみると、木はやはりむずかしいものになっていたんです。割れるとか狂うとか反るとか、そうした木の欠点をきちんと説明ができなければお客様からのクレームになってしまいます。ですからハウスメーカーとしてはベニアや化粧板を勧めてきたわけです。その結果わずか1割の利用にとどまっていたのです。
しかし、材木屋が木の話を避けていたら材木屋ではなくなるという思いがありました。そこでこうなったら自分でやるしかないと考えたわけです。ツーバイフォーは私自身は感覚的に馴染めなくて、日本の住宅には古来からの手法、まず屋根を葺いてから内装に入っていくという軸組構造が気候風土に合っていると思います。基本の考え方はSE(金物)構法でもおなじです。
建材はどれだけ厚い合板の床を使っても所詮、建材なのです。最初はきれいに見えるけど、特に人が出入りするところなどはいつかはベニヤが出てくるようになってしまいます。私どももそれを商品として扱ってはいたけれど、次第に欠点も知るわけで、本心に問うてみれば、やっぱり無垢の木というのはいいなと感じました。まがい物の木の家でなくて、やるなら本物の木の家にするんだと悟ったのです。それが平成10年ころのことです。
Q:戦後の高度成長の頃に住宅にも工業製品が多く導入されましたが、それまでの家屋は素朴に木を使っていました。
それがまたここに来て「木」が見直されはじめています。
そうです、原点に回帰しているのだと思います。しかし振り返ってみると、戦後の復興のころには工業製品に頼らざるを得なかったとも思います。ピーク時に200万戸も住宅が建ったときには、オール無垢では供給も追いつかなかったことでしょう。それに木の乾燥技術も当時はまだいまほど完成していなかった。過ぎてしまえばそれもやむなしです。いままた、やっぱり本物がいいよね、という揺り戻しのような時なのでしょう。ですから材木屋として、木の家を広めなきゃいかんと思いました。
そして杉や檜だけですとどうしても表現が「和」になるんです。「洋」の無垢となると「パイン材の節あり」となります。当時は節がある木は下の下だと思っていました。湘南モデルハウス(東逗子駅前)を造る時も相当悩みましたが、新しいことをやるのに古いことにとらわれていてはいけないと考えてパイン材を採用しました。できた当時は心配でお客様になんども伺ってみると、節があるほうが本物なんでしょと、あっさりおっしゃってくださり、とても新鮮な思いでした。それから弊社でもパイン材は急激に広まりました。いまはもちろんパインも使いますが、ハードウッドでも色の濃い材料でも、お客様の仕上げ方や好みで使われています。
また、針葉樹と広葉樹では表情がまったく違ってきます。針葉樹の中では杉や檜が多く使われますが、洋風の家づくりの中で針葉樹が使われ出してくるとそれも抵抗なく多様されるようになりました。最近ではとくに国産の木を使おうというエコポイントの効果もあって良く採用されています。
弊社には木を目に見えるところで使うという強いコンセプトがあるので、それが100%ぶれることはなく、工業製品は社内で禁止部材でもあるのですが、使う木の種類はどんどん多様化してきました。しかしわたしはそれでいいと思っています。
Q:「木の良さ」とはどんなものとお考えでしょうか。
平成8年に、長野県上田市で見た地元の木材屋さんのモデルハウスが当時非常に盛況であり、またまだ残雪が残る山並みにとても美しく映える外観を見て強く印象に残っていました。そこで(外壁に使用することのできる)不燃木材をやろうと思い、すぐに実験に入りました。それまでは燃えるということで建築基準法によって木は外観に使えなかったのです。ですからその頃は、木の家で日本の街並を変えるんだというほどの意気込みでした。木の利点というのは部分的に取り替えが効くということです。構造の骨は腐りにくくがっちりしているけれど、薄い部分は一部が腐ったら取り替えればよい。メンテナンスが自由にできるのです。だから長い間日本の神社仏閣が残っているのです。清水寺は丸太で組み上がっている訳ですが、腐る部分を予見していて取り替えることができる『日本最古のウッドデッキ』だと思っています。
キリガヤが元請けとして住宅を手がけるようになったのはそれほど古い話ではない。
材料供給の立場であるため直接住宅を建てることは、商売上なかなかむずかしいことであった。
(次回に続く)