「すてきな住まいで充実した暮らしを」そんな大きな夢をお持ちのご家族と、住宅メーカーやハウスビルダーをつなぐ夢のマッチングサービス、「バイザシー ビルダーズクラブ」
事前にしっかりとしたヒヤリングを行い、ご家族にぴったりな住宅会社、工務店をご紹介いたします。
お引渡し、お引越しの記念に本誌『バイザシー 』の誌上で掲載させていただくこともできます。
すべて無料の読者参加企画です。
それでは、これまでに各地から移住された素敵なご家族をご紹介しましょう
1 | 鎌倉市N様邸 |
2015年暮れも迫った頃、当時東京目黒区にお住まいだったNさんは、お子様の独立を機におふたりの新しい人生を描くため、新天地をお探しでした。
「なんとなく海や海岸線のほうに住もうという気持ちで」鎌倉方面を探索していた頃に今の海沿いの高台に気に入った土地を見つけられました。
イタリアがお好きで新しい住まいもそんな生活をイメージされていました。建物に関しては小誌バイザシー の企画でお手伝いして、南欧風建築に詳しい建築家太田充美(有限会社ボッテガベルタ)さんと出会うことに。
「定年してからでも良かったけれど、人生にはそれぞれステージがあります。子育てをどこでするか。私たちはそれは終わっていたし、自分の人生の仕上げをどこで過ごすかがテーマだったのです。あまり遠すぎると子供たちも来てくれないし、ここは日帰りでもきてくれる場所なんです。そんなに田舎すぎないし、都会具合がちょうどいいのです」
敷地面積/ 230.47㎡(69.71坪)
延床面積/ 138.95㎡(42.03坪)
1階/84.83㎡(25.66坪)
2階/54.21㎡ (16.39坪)
用途地域/第一種低層住居専用地域
構造/木造2階建
間取り/3LDK+ロフト
家族構成/2人
2 | 鎌倉市森脇様(東京都目黒区から移住) |
東京・目黒のマンションで暮らしていた守脇さんご夫婦が、鎌倉に興味を抱いたのは、ほんの小さなことがきっかけでした。奥様が勤めていた会社の夏の鎌倉でのパーティーに参加したご主人。「海もいいなあ、鎌倉暮らしもありだな」と、気持ちが一変した一日だったと、今も記憶しているそうです。転居が多かった守脇さんはいつか故郷になる家を持ちたかった。それまで抱いていた鎌倉とは、小旅行、別荘、あるいは自宅で仕事ができる人たちが住む場所。イメージだけの遠いライフスタイルに過ぎなかったのです。
2009年1月、ご夫妻は思い切って北鎌倉に住まいを移す。
「ダメだったら東京に戻ればいい」くらいの気持ちで、それは実験的移住でもあった。
しかし、しだいに鎌倉暮らしに慣れていく。居を構えることで、鎌倉周辺の土地などの不動産情報も、ネットだけでなく新聞チラシなどで迅速にキャッチできました。
時を同じくして住まい、家づくりの情報も収集しはじめ、依頼するとしたら、茅ヶ崎の工務店ホームスイートホームメイドにおねがいすることを決めていたそう。木の家の温かさと、施主が家づくりに参加できる、セミセルフビルドを提唱する家づくりへの姿勢が魅力的でした。
Q:湘南に移住してよかったこと
オンとオフの切り替えができる。体を動かすようになった。東京生活も楽しかったけど、自然の中で暮らすことが自分に合っていたことがわかった。冬がしっかり寒いとか季節感にメリハリがある。
Q:移住をしてビックリしたこと
動物、虫、生物が多い。2年間の北鎌倉の生活で慣れたけど夜が暗くて静か。
Q:移住してから困っていること
虫。
Q:これから移住を考えているかたに一言
夜に住みたい場所を見に行ってみて生活に合っているかを確認する方がいい。除湿機(必需品)はその時代の、一番性能のいいものを買うべし!
取材協力:ホームスィートホームメイド(茅ヶ崎市)
3 | 茅ヶ崎市S様邸(埼玉県から移住) |
埼玉県からの移住で、以前に奥様が湘南に住んだことがあるのがきっかけで海のある街で暮らしたい、そんなご希望がかないました。医療関係のご職業は医師で神奈川県への転勤も実現して、同時に初めてのお子さまもにも恵まれた幸せご家族です。2019年12月竣工
取材協力:バウムスタンフ(藤沢市)
4 | 鎌倉市熊谷昌彦、祐子様(オーストラリアから帰国) |
埼玉県からの移住で、以前に奥様が湘南に住んだことがあるのがきっかけで海のある街で暮らしたい、そんなご希望がかないました。医療関係のご職業ですが転勤も実現して、初めてのお子さまもにも恵まれた幸せ家族です。2019年12月竣工
静岡県浜松市ご出身の妻の祐子さんは、ずいぶん前からここ鎌倉がお気に入りでした。ことあるたびに鎌倉にショートトリップしたり、その魅力に惹かれていったそう。その後、2年間のオーストラリアでの海外生活を終えて帰国して、居を構えたのは故郷ではなく、ここ鎌倉。
「鎌倉に住みたい」看護師資格を持つ祐子さんは、ただその思いから勤務先も鎌倉近辺を選んだほど好きな街。
土地や家は「縁」だというけれど、不動産の情報はその土地にいてこそ得られる情報も多い。新聞チラシや地元の情報ペーパー、そして何よりすぐにそれを確認できるというフットワークの軽さはとても重要で、この家もまだ古家がある売り出しの物件で、フルリノベーションをかけて再構築したもの。
二階のリビングは、それほどの広さはないけれど不思議に開放的で、一番奥にはネイビーとイエローの2色の椅子が、仲のいいご夫婦のように寄り添って並んでいる。イエローの椅子に腰を下ろせば、南側の大きな窓から鎌倉の緑が稜線を描く。
「ずっとここにいて、木を眺めているんです」
ストレスの開放には、木はとても効果的なもの。木の年輪には時代を記す証があり、今も生きていると思うと不思議な気持ちになるのだそう。
おふたりが一緒に過ごす休日は、鎌倉の散策、散歩が多い。稜線をつなぐ道を歩く。鎌倉に移住したことで、生活の中に心地よいリズム感を生み、幸せな時が流れている。
Q:湘南に移住してよかったこと
たくさんの自然と歴史ある古い町並みを楽しめること。ご近所の人、お店のかたも温かい。
Q:移住をしてビックリしたこと
選挙の時にウエットスーツで投票所に来ていたご夫婦がいた
Q:移住してから困っていること
道が狭く車が入れない時間帯があること
Q:これから移住を考えているかたに一言 自分がその町を好きかどうかを確認するためにも住んでみてください。思わぬアドバンテージがあります。
5 | 葉山町礒村真介・智恵子様(川崎市から移住) |
トレイルランニングがきっかけで葉山町に移住を決めた礒村さんファミリー。山と海のある葉山こそ、その活動に理想的な土地でした。
移住のきっかけは、「思い立ったらすぐに走れる裏山のある暮らしがしたかった」と。そんな希望を丁寧に整理してみると、湘南地域では山と海のある葉山が最適の場所と定めた。本誌をご覧になって葉山のハウスビルダー「スターホーム」の完成住宅に興味を持たれ、土地探しが始まった。
メディアの仕事を専業として独立するタイミングでの湘南移住。大きな道路があって、駅からもほどほどの距離、そして津波への危険回避も想定してこの土地を決めた。遠くに水平線も見える国道134号から逸れる坂道の途中、横張りの木を纏った住まいが磯村邸だ。庭先には、たくさんのオーストラリア由来の花木が綺麗に植栽されてる。
住まいは住む人の暮らし方を映し出すもの。それまで暮らしていた川崎の2LDKマンションとは比べものにならないほどの大きな敷地、整えられたお庭。2台駐車できるカースペース。もちろん裏山は思い立ったらすぐにトレイルランニングできる尾根がある。
まだ小さなご子息は、川崎の街からこの葉山に来て、どんなに幸せなんだろう、と思う。裸足で土の庭を走り回る。大きな青空が日常にある。キレイな空気。これから何年か経つと、海に行ってマリンスポーツを楽しむのだろうか、あるいは両親がたどったようにトレイニランニングで三浦半島の尾根をかけているのだろうか。きっともう都会には戻れないはず。
大きくなって、ご両親から人生最高のプレゼントをいただいたことに感謝することだろう。
Q:湘南に移住してよかったこと
空を見て天気が予測できるようになった。自然の中で遊ばせる共同保育で子育てが楽しくなった。夏涼しくて、冬暖かい。
Q:移住をしてビックリしたこと
夜は人が少なく、暗い。
Q:移住してから困っていること
台風の影響がすごい。道が狭い。お店が少ない。
Q:これから移住を考えているかたに一言
まずは移住をしてみては?
取材協力:スターホーム(株)(葉山町)
6 | 葉山町F様邸(横浜市から移住) |
設計施工は逗子・葉山を中心とした木の住まいを提供する老舗ハウスビルダー『キリガヤ』。静かな環境に馴染む、長く安全に暮らせる家を建てたいとの強い希望で始まったプラン。広い敷地にゆったりとたたずむ堂々たる木造2階建の邸。トライスロンなどのアウトドアスポーツが大好きな施主のこだわりも必見です。
取材協力:キリガヤ(逗子市)
7 | 茅ケ崎市 山口みどり、綾乃、陽平さん(綾瀬市から移住) |
湘南移住は、不幸にもご主人が亡くなったことから展開した。病気療養中のご主人が、急逝。山口みどりさんの人生は一転して自分自身を見失うほどの立場に置かれた。
「さあ、これからどうやって生きていこうか」
幸い二人の子供たちはもう、社会に出て横浜と大阪で自立した生活を確立していた。そんな折、失望の底にいた母を見て、二人の姉弟は母に告げた。
「もう一度、三人で一緒に暮らそう」
ある日、姉の綾乃さんが母を元気づけるために、ハワイ旅行に誘った。それまで暮らしていた綾瀬市には海がない。大した縁もなかったけれど、ハワイ旅行で海が心におよぼすヒーリングを体で感じてきた。海って素晴らしい! そのころサーフィンに虜になっていた長男の陽平さんは、藤沢市辻堂で物件探しを始めていた。
「小さくてもいい、私たちの実家を作ろう」
親子三人が集まって、湘南の家探しが始まった。縁あって茅ヶ崎市東海岸、海まで歩いてすぐの土地に今の住まいを作ることができた。
長男陽平さんはヨガのインストラクターの会社員でサーファー、姉の綾乃さんもヨガのフリーインストラクターということもあって、自宅に念願のヨーガスタジオもできた。二階のリビングはクラス開催の時にはスタジオに解放される。
「茅ヶ崎に半年住んでも、まだ海に行く気分にもなれませんでした。でもある日夜の海にぽっかり月が浮かんでいて、さざ波の音が聞こえて、心から癒された瞬間がありました」
ゆっくりと確実に、固く傷ついたみどりさんの心は茅ヶ崎の海に癒されていったのだと語る。今では性格も180度変わって、ウクレレを弾き、歌い、フラにも熱中する茅ヶ崎人だ。小麦色の笑顔が眩しい。姉の綾乃さんは、「母って、こんなに笑う人だったのかしら」と思うこともあるそうだ。
仲の良い家族。山口家の場合は、ホームドラマのような軽々しいものではない。多難を乗り越えてきた家族だからこそ強い絆が再生された。それを演出してくれたのは、茅ヶ崎の海と町、そして温かいローカルの人びとのおおらかさだったそう。
「茅ヶ崎のすべてに癒されてきたから、お返しをしたい。ずっとここに住めることを感謝して」
Q:湘南に移住してよかったこと
お店のかたが優しい。外から来た人を受け入れてくれる。
Q:移住をしてビックリしたこと
波がいいと店が休みになる。平日に海にいる人が多い。ビーチサンダルとムートンブーツがあれば暮らせる。
Q:移住してから困っていること
JRの料金が高い。東京まで約1000円
Q:これから移住を考えているかたに一言
思いついたら実行、住んでみてからわかることもたくさん。賃貸でもいいから住んでみましょう。
8 | 藤沢市Nさんご夫妻(フランスから帰国) |
ご夫婦は、結婚後すぐにご主人のフランス駐在が決まって渡仏。11年間の大半をパリ郊外のサン・クルー 市で暮らした。 一度帰国後、 2010年から2度目のフランス駐在。同じくお子様の学校関係によりパリ郊外で暮らし、トータル16年をフランスで過ごされました。
2度目の赴任の前には、環境の良さと通勤に便利だったことから逗子で6年間を過ごしたこともあるご夫婦。ご主人は大阪出身で、海の見える場所で育ち、奥様は横浜の出身だったこともあり、2回目の帰国後には、自宅を建てるため湘南を希望されました。
土地探しの条件は「遠くに海が見えること」。
そして奥様が小さな頃から喘息を抱えていたり、ご主人もパリにいた頃に排ガスで悩まされたことや花粉症もあって、とにかく天然素材でつくる家がもう一つの条件でした。行き着いたのが「体に良くないものは使わない」にこだわる無添加住宅だったのだそう。
「パリは少し郊外に出ると森がって、鹿やワシやうさぎがいたり蛍が見えたり、そんな大自然が広がっています。そこで暮らしていたことも湘南を選んだことにつながったのかもしれません。」
「屋上からは富士山と相模湾が見渡せます。海も富士山も毎日、時間によって微妙に色が変わります。雨上がりのエメラルドグリーン、富士山もピンクやパープルに見えることもしばしばです」
現在ご主人は大田区への通勤、乗り換えが多いために1時間半ほどかかるそうですが、屋上階のバルコニーから海を眺めてリフレッシュしてから出かけるそう。
「それは、この家で過ごす週末があるから。とにかくここはリフレッシュできます。心が豊かになる。ライフバリューがあるんです。私たちには終の住処です」
自然に囲まれた丘の上に建つN邸は、健康的な自然素材だけではなく、湘南とフランスの香りが素敵に交わる、ポエムのような穏やかな空間です。 取材協力:無添加住宅ライブハウス
9 | 千葉県いすみ市・佐藤裕一、智波様(藤沢市から移住) |
辻堂周辺はいまや首都圏でも屈指の「海が似合うオシャレな街」。駅直結のSCには休日には交通渋滞が発生するほどの人気です。
佐藤さんご夫婦はアウトドアが大好きで、各地にキャンプに行ったり、千葉・館山の友人宅に遊びに行くことも頻繁で、しだいにおふたりはカントリーライフの魅力にとりつかれていったようです。
そんな中で知ったことは、千葉県の土地の相場が想像以上に安いこと。
自宅に伺うといろんな場所で、ご主人自作のDIYが眼に入る。ベッドルームの木製内窓、キッチンのつり棚、直近では敷地奥にスケールの大きい倉庫を建設中。移住してから近所の製材所に通ってテクニックを吸収したほどの入れ込みよう。
プロのパン製造技術を持った奥様は、自宅でPADDY FIELDという名前のパン屋さんをオープンさせる。まもなく釜も設置されるそうだ。そんなエネルギッシュなおふたりを制御するものはなにもない。たとえ片道3時間の通勤時間を犠牲にしても。
外房でも移住増加が顕著な一宮町は日本でも有数のサーフタウン。地元のサーファーたちが長年夢見てきたその賑わいは、若者たちがその中心ですでに日常的で都会的でもあります。おふたりがあえて一宮町ではなく、隣町のいすみ市を選んだ理由がそこにありました。もっと静かに、自然に囲まれてゆったりと暮らしたい。そんなお気持ちを抱えていたのでした。
「目の前の田んぼは、田植えの頃の池のような表面が、稲が育って緑の絨毯のようになり、秋には黄金色に変わっていくんです」
自然に中で暮らす人にしかわからない、季節の変化を奥様はこう話す。
房総千葉は、決してオシャレの最先端の街ではない。海と山に恵まれた大自然こそが宝物。自分の人生は自分でつくる、そんな力強さが佐藤さんご夫婦にはあるのです。
取材協力:有限会社つるおか工務店