JR横須賀線逗子駅から1分、2つ目の路地を曲がるとなんともクラシックな店構えの不動産屋が見えてくる。1950年創業の佐久間不動産、この街で知らないものは少ない老舗であり、佐久間浩(さくまひろし:以下敬称略)はその2代目社主である。
ここでは佐久間の父、佐久間沖之助氏の存在を欠くことはできない。戦後まもなく、不自由さから解放された日本国民がエネルギッシュに経済復興に立ち上がろうとしたころ、大工から転職し、葉山で海の家「ラッキーランド」を開業して壮大なカーニバル開催の中心的役割を果たしたりしながら、まちの復興にも尽力し、昭和25年にこの「佐久間不動産」を創業したその人物。のちに葉山町議会副議長まで務め、叙勲、勲章もいただいた創業者である。その長男が佐久間浩で、社屋は2年後の昭和27年に逗子駅前に移転し現在に至っている。
「いっぱい稼いで大いに人生を楽しもう」と熱狂するたくさんの大人たちを佐久間は間近に見て育った。まちの風景は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」そのものだったという。ちなみにここでは葉山は「洗練された田舎」と定義し「街」ではなく「まち」と記しておく。
佐久間は父の薫陶を受けながら、戦後葉山の別荘文化のど真ん中で幼少を過ごした。横須賀の高校を卒業、大学を中退後はさまざまな仕事やアルバイトを体験した。ゴルフキャディ、配達員、浜のボート屋、土木作業員まで。なかでも「土木の仕事が一番勉強になった、仕事の基本を教わった」と振り返る。
1980年父の逝去にともなって会社の代表となったが、この時に掲げた社のポリシーが「海辺専門の不動産会社」だったのである。冗談めいた商業看板でもあり、その後大ブームとなった海洋カルチャーへの先手だったともいえる。
当時はかなり高価だったという航空写真を手に入れて「面白い土地はないか」とルーペで貪るように海辺の土地を探した。面白そうな場所を見つけてはバイクで乗り付けて調査を繰り返す。伊能忠敬のごとく三浦半島の海岸線と地形はスキャンされいまでも頭の中に保存されている。
明治27年(1894年)に落成した御用邸を取り囲むように皇族、華族、政財界、軍人の別荘がおよそ500あり明治、大正、昭和まで別荘文化の最盛期を迎えた。葉山はミニ城下町となり一大消費地の恩恵を受けていく。腕の良い宮大工、鳶職、植木屋が育ち、御用聞きで商店も潤った。佐久間にも木造を愛し、物を大切にする気質が醸成されていったのである。戦後、宮家の廃止で別荘は大企業の保養所に姿を変えていき、その後バブル崩壊で保養所は売却されマンションや住宅地になり「別荘地の葉山の姿は今は無い」と話す。
葉山は小さなまちだが、どんなところか?
「葉山は人口12,000人だったころから今では32,000人に増えている。御用邸ができたことはまるで神様が舞い降りてきたようだったと思う」。続けて「葉山は御用邸リゾートで住人はいまでも葉山人だと思っている」と断言する。この頃の様子は、父佐久間沖之助が当時撮影した写真を編集した「葉山の青春」(右下)でふんだんに見ることができる。かつて葉山はこんなに素敵だったことを残しておきたい、そんな思いも込めて自ら編集にあたった。
佐久間はなんでも紙に書きとめる。車にはメモ帳や段ボールの端切れがあって電話番号、名前、なんでも自書し記録する。手を動かすことで脳に伝達しているのだろう。彼が描く細かなイラストレーションは壮大でありほのぼのとしたものだが、頭の中の鮮明な記憶によってスキャンされ形成されているように思える。「葉山のビーチは長い、逗子の3倍もあるんだ。それに海には生物が生きている磯がある。これが大事なんだ。そして西向きだから富士山、伊豆半島が望めるというわけ」
海の遊びもまた父の影響から逃れることはできない。佐久間が育ったフィールドには別荘の文化と海が人生最大の学びの園だったと思われる。モーターボート、マリーナ、大人たちの華麗なる海との接し方を身体に焼き付けたのである。そして24歳でサーフィンを知り波を中心に回る生活に変わっていく。
87年には真名瀬の海岸の真ん前に「海小屋」をつくった。それは海岸線で異色を放つ新しい葉山のアイコンでもあった。そこでは釣り、モーターボート、サーフィン、素潜り、魚のさばき、なんでもできた。たくさんの友だちも集まった。まるでヘミングウェイのような暮らしぶりだ。
水難事故でわずか25歳で早世した長男、佐久間洋之介も「海のことを教えてくれ! とやってきて、ここでたくさんの時間をいっしょに過ごしたよ」と振り返る。海を愛し、みんなから愛された伝説のサーファーだった。
城下町のような文化的な暮らしのなかで仕事と遊びを身につけてきた佐久間ももう71歳を迎える。佐久間不動産は1950年の創業から75年。次男が跡を継げば100年企業も視野に入る。
2025年、町政100周年を迎える葉山にはいまでも毎年若い移住者がやってくる。その移住の手助けをする彼に「アドバイスをするとしたら?」と投げかけてみると、「そんな上から目線のことはなにもないよ。100人いれば百通りのフィーリングがあるんだから」とそっけない。
佐久間不動産は基本的に葉山と逗子、横須賀、三浦を商圏としていて鎌倉はやらない(要請があればやる)。商売としてはあり得ない企業方針だけど、それもまた佐久間の「葉山愛」として理解しよう。
葉山のことは佐久間不動産に聞け!
「葉山の青春 HAYAMA 1951-1952」撮影:佐久間沖之助 編集:佐久間浩
発行:(株)用美社 定価:3,300円(税込) ISBN978-4-946436-62-8