「シュッスイしたよ!」
庭から私を呼ぶ母の声が聞こえた。8月10日のことだ。
シュッスイとは「出穂」のことである。何を隠そう、最近知った言葉だ。米作りに携わってみるとニューボキャブラリーがどんどん増えていく。播種、湛水、均平、催芽、登熟、倒伏。ハロー、プラウ、ブーム。
何が出穂したかと言えば、私が育てている「バケツ稲」だ。小学校などで食育の一環としてバケツ稲に取り組むところもあると聞く。まだ自分の農地を持っていない私だが、ひとまずバケツを小さな「マイ田んぼ」として稲を育ててみようと、春から挑戦中だ。
4月の種まきの時期に、種もみと田んぼの土をもらってきた。バケツに直播きするものと、苗ポットで育ててから田植え(移植)するものなど、様々なパターンを用意し、5月末にはバケツへの田植えが完了した。
たまに水を入れたり、雑草を取ったりした以外、ほったらかしだったので、横目でバケツを見守っていた家族は「穂は出ないんじゃないか」と思っていたようだ。そんな予想を裏切って立派に穂が出た。
このまま何事もなければ9月中にはバケツ米の収穫ができるだろう。と言っても、バケツ三つでせいぜい1膳〜2膳程度か。少し寂しい量ではある。
ではもし自分が食べる1年分の米を作るとしたら、どれだけの田んぼが必要か。1日に2膳食べると想定すると、年間50キロ強の米が必要だ。令和5年産の水稲の全国の10a当たり平年収量は、536kg。10分の1として、1aつまり10メートル×10メートルほどの面積で、年間に一人が食べる米を賄っていることになる。意外と広いなと感じるか、そんな程度でいいのか、と捉えるかはその人次第だろう。
では日本全体で考えるとどうか。「米余りの時代」と長く言われてきたが、果たしていつまで? 米農家は高齢化し、採算の合わない米作りは敬遠され、休耕田は増える一方だ。
奇しくもこの夏は、令和の米騒動などと言われ、首都圏のスーパーなどでは入手できない事態が続いた。いくつか要因が重なればあっという間に米不足に転じる、そんな前兆を感じさせる出来事だった。
米の未来を憂いたり、バケツ稲の無事の収穫を喜んだり。秋の空と農家見習いの心は移ろいやすいのである。
プロフィール・高橋有紀|1981年生まれ。国際基督教大学を卒業後出版社勤務。ライター・編集、農家見習い。現在逗子と岩手の2拠点ライフ。保護犬だった柴犬と暮らしている。趣味はシロギス釣り。