移住にまつわる心配事の一つに、「知り合いゼロ問題」があるのではないかと思う。
移住者を積極的に誘致しているような土地であれば、おそらくそこには移住者コミュニティがある。検討段階から先輩移住者たちの声を聴く機会もあるだろうし、移住者同士の情報交換の場や、ネットワークがあるはずだ。
見知らぬ土地で暮らしを始めるうえでは心強いのだろうが、一方で私のような社交的でない人間にとっては、正直いうと、そういうのはちょっと面倒くさそうだなという気持ちもある。
都内から湘南エリアへの引っ越しの場合は「移住」とまで腹をくくる必要もない、なんとも微妙な距離である。都内に通勤するわけだし、いつでも都内の友人と遊べばいいだろう、ぐらいに考えていた。
ところがいざ引っ越してみると、近くに住んでいる知り合いがいないというのは意外に心細いものである。「逗子に遊びに行くよ!」なんて言っていた都内の面々も、まぁ遊びに来ない。こちらは日常的に都内まで通勤していても、都内在住者にとって「逗子まで行く」のはだいぶ腰が重いことのようだ。
子どもがいれば、保育園などを起点に知り合いなど嫌でもできるだろう。だが独り身でさらに在宅勤務で家にこもっていると、それはそれは人と触れ合う機会がない。1年ぐらい経つと、「こっちに全然友達いないな」と焦りを感じるようになってきた。
これを人に相談すると、「行きつけの飲み屋を作れば」と勧められることが多い。実際、街を歩いていると常連たちが集い楽しそうに飲んでいる居酒屋がいくつかある。が、私はお酒がほとんど飲めないうえ、あの中に足を踏み入れる勇気もなかった。
この「知り合いいなくて寂しい問題」はひょんなことから解決した。
きっかけは、釣りだ。
逗子に引っ越す前、ボートでのハゼ釣りに一度行って釣りの楽しさにハマった。逗子なら自転車で行ける距離に釣り場がある。移住して2年目、遅めの夏休みを取った秋。特に出かける予定もなかった私は1週間、毎日堤防へと通ったのだった。
釣り場ではたいてい釣り人同士が「こんにちは。釣れてますか?」と声を掛け合う。小さな釣り場なので、誰かが釣れればおめでとうと言い、釣れなければ釣れないで妙な一体感も生まれる。釣れたものの持って帰ってさばくのは面倒だというタイプの釣り人も一定数いて、帰り際に「これよかったら持って帰る?」と分けてもらうことも日常茶飯事だ。私の場合、食べられない魚に興味はなく、夕飯の食材のために釣りをしているようなものなので、ありがたくいただいている。
釣り場にいるのは大抵いつも同じような地元メンバーだ。「昨日はどうも」とイワシのお礼に缶コーヒーを差し入れたりしているうちに、顔なじみになってくる。
老若男女がいるのも釣り場ならではだ。毒を持っているゴンズイという魚が釣れたときは、隣にいた小学生の男の子が「毒があるから気をつけて。僕が鈎を外してあげる」と親切に手伝ってくれた。
お互い、名前も年齢も知らず、職業も肩書きも関係ない。友達と言うほどの関係性ではなく、偶然居合わせたほんのひととき、釣りにまつわるちょっとした情報交換と世間話をするだけ。
そんな関係がとても心地よいのである。