水辺の近くに住むことが、メンタルヘルスにいい影響をもたらす――。イギリスの研究者がそのメカニズムを明らかにし研究成果として発表したのは2021年のこと。
このコラムでは、そんな“科学的エビデンス”と私の超個人的体験に基づいた、海辺暮らしのススメを綴っていこうと思う。
スマホに流れてきた冒頭のニュースを見て「そりゃそうでしょうね!」と鼻を高くしていた私だが、残念ながら湘南ローカルなんていうかっこいいものではない。生まれは岩手だし、どちらかといえば海より山に近い。逗子にきたのは4年前。いわゆる「移住者」だ。
2019年の夏。当時、私はニュース週刊誌のフリー記者として働いていた。38歳独身。大学を卒業してから15年、出版社内の様々な部署をフリーランスとして渡り歩いてきた。
来日したセレブ、愛読していた作家、憧れの芸能人、一番好きなお笑い芸人。雑誌の知名度のおかげで、そうそうたる人たちに取材と称して会ってきたし、プレスツアーの名の下に海外にも連れて行ってもらった。随分さまざまな「役得」にあずかってきたし、多少なりとも自分が書いた記事に反響があれば、してやったりと鼻の穴を大きくした。
倍速で巻き戻して振り返れば、そういう華やかな仕事たちの表面だけを思い出すことができる。
でも。川原の大きな石をひっくり返すように、当時に戻って一つひとつの仕事をひっくり返したら、私は悲鳴をあげるだろう。今は幸いにも忘れてしまったストレスや、プレッシャーや、寝不足や、イライラや、いろんなゴタゴタが石の裏にびっしりとくっついているだろうから。
住んでいたのは神楽坂で、25平米程度のワンルームマンションだ。3分も歩けばフレンチレストランやら、小洒落たバルやら、チェーンの喫茶店が選び放題。タリーズに行って、スタバに行って、ベローチェに行って。締め切り間際は深夜までカフェやファミレスをはしごして原稿を書き上げた。そして家に帰ればすべてが自分の手の届く範囲にあるような狭い部屋で眠った。
何が言いたいかというと、私は疲れていた、ということ。あまり自覚はしていなかったかもしれないが、憧れだったし自慢だった「東京の生活」に、疲れていた。
引っ越し先を探し始めた直接のきっかけは付き合い始めた相手がうちに転がり込んで来たからだ。二人で暮らすのに25平米はさすがに狭すぎる。
ところで、しっかり調べたわけではないが、都内から逗子(ならびに湘南エリア)へ移り住むことが「移住」と呼ばれるようになったのは、コロナ禍以降のことのような気がする。多くの人が在宅勤務になり、必ずしも都内にいる必要がなくなった。そういう人たちが郊外へ出て行く現象は、どうも「移住」と呼ばれるらしい。コロナなどというウイルスがいなかった頃、私は単なる「引っ越し」としか考えていなかったので、今でも「移住したんだよね?」と聞かれるたび
「えーと、移住というか……」と口ごもってしまう。
今でもスマホにはその時に作った「物件」フォルダが残っている。北千住、清澄白河、両国、初台……。脈絡なく、あらゆるエリアの物件をチェックしていた。二人で暮らせる広さがあって、家賃が手頃であればそれでよかった。ただ、豪雨災害が増えていたので、自治体のハザードマップを照らし合わせることだけは欠かさなかった。比較的家賃が手頃な東京東部エリアはハザードマップを見て早々に諦めた。荒川と隅田川に囲まれ、浸水エリアだらけだったから。
さて、東京に疲れたアラフォー独女が心惹かれる街と言ったら、どこだろうか。鎌倉だ。
ある日、私が引っ越し検討中と知った同僚が「最近妹が北鎌倉に引っ越したんだよね〜」と言って写真を見せてくれた。青々と茂った森の中を、妖精のようなワンピースを着た女の子(同僚の姪っ子)が歩いていた。その瞬間から、私は行ったこともない「北鎌倉」に完全に心を奪われた。鎌倉もいいけど、「北鎌倉」はなんだか通な響きがある。有名な漫画家も住んでいるらしい。しかも同僚の義弟は恵比寿に通勤していて、都内は余裕で通勤圏内だという。SUUMOの検索条件を「北鎌倉」に変えて早速探し始めた。
「別に東京じゃなくていいんだ」。そう思ったらなんだか俄然東京が嫌になり始めた。そうだ私は東京に疲れているではないか。どこか東京じゃないところに住もう。仕事をやめる気はなかったが、週末にこんな自然の中で暮らせたらどんなにいいだろうか、と想像しては期待に胸が膨らんだ。
「逗子」が出てくるのはもう少し先の話。
##プロフィール
高橋有紀/ライター・編集者。1981年岩手県生まれ。国際基督教大学卒業後、出版社に勤務。パートナー1人+犬1匹と逗子で暮らしている。シロギス釣りがいま一番の趣味。
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イラスト・題字
ほししんいち/横須賀市秋谷在住。