海のススメならぬ、湖のススメ。
岩手の冬といえば、岩洞湖の氷上ワカサギ釣りである。知り合いに名人がいて、同行させてもらった。
盛岡市薮川、市の中心から40キロほどのところにあり、白樺に囲まれた美しい湖だ。氷に穴を開けるこの釣りは湖全体で氷が15センチの厚さにならないと解禁されない。年々暖冬になっていて、今年は過去最も遅い2月6日の解禁だった。
このワカサギ釣り、意外なほど難しい。おもちゃのように小さなリールとロッド、子どもでもできそうと思ったらとんでもない。餌をつけるにも針の穴に糸を通すような作業。魚が餌に食いついた時のブルっというアタリも小さい。これに瞬時に合わせて鉤をかけないといけない。
到着した朝5時半、気温はマイナス7〜8度。薮川は「本州一厳寒の地」として有名だ。そりに荷物を載せてポイントへと向かう。底がないテントを立てて、ドリルで氷に穴を開けて、いざ釣り開始だ。
テントで風を遮ることができるので、思ったほど寒くはない。と言ってもヒートテックにタートルネック、スウェット、フリース、ダウンと5枚重ねて着膨れているのだが。
そしていざ、目の前にある穴に糸を垂らす。覗き込んでも、湖の中の様子はわからない。リールをコンコンと叩くようにして、誘いを入れる。
コンコン、しーん。コンコンコン、しーん。反応はないが、置き竿にして食ってくるものではないというからひたすら誘い続ける。30分ぐらいして惰性の作業になってきた頃にわずかにプルルと魚の反応がある。驚いて巻き上げるが、暇を持て余して左手に持ったスマホを眺めていたりするものだから、合わせが1秒遅い。巻き上げても空の鉤が上がってくるだけ。いけないいけない、と気合いを入れ直して穴に全集中を傾ける。
コンコン、コンコン、しーん。暗い穴を全集中で見つめる。何も見えないがきっとこの下に誰かいる、と信じて延々とノックノックの訪問販売である。釣りとはなんと哲学的なものか。 釣果はさておき。テントから一歩外に出れば、見渡す限りの銀世界。そこにカラフルなテントがポツポツと立つ光景は幻想的ですらある。中では哲学者たちが穴を見つめているのだろう。
高橋有紀 1981 年生まれ。国際基督教大学を卒業後出版社勤務。ライター・編集、 農家見習い。現在逗子と岩手の2 拠 点ライフ。保護犬だった柴犬と暮らしている。趣味はシロギス釣り。