湘南移住と家づくり〜鎌倉、江ノ島、沖縄などでもセンセーショナルな住宅をクリエイトしてきた穂満慎一さん。久しぶりのメディア露出です。
日本経済のバブルが崩壊した90年代ころから、住宅業界では建築士や住宅デザイナー個人がフューチャーされはじめた時期がある。時代の風雲児のごとく、建築雑誌をはじめテレビや新聞などのメディアで頻繁に取り上げられた穂満慎一氏もその一人だ。
リーマンショック、東日本大震災と続く災難をやり過ごし、その後も時代にアクセントを打つように印象的な作品を世に送り出している。
<プロフィール>
1969年生まれ。現在52歳。鹿児島出身。独学による大学検定試験で防衛大学校に入学。卒業後建材商社に4年間勤務。26歳の頃、デンマーク、スペイン、イタリアなどの滞在経験を糧にヨーロッパと日本の融合という意味で「ユーロJスペース」を設立。建築やインテリアデザインなど多分野の事業を展開。建築デザイナー、空間デザイナーにして事業家、プランナーとさまざまな肩書きを持ち、なにごともほぼ独学で切り開く姿勢を貫いている。以前はマリンスポーツも楽しんでいたが3年前からゴルフに熱中。
取材・構成◎藤原靖久 ポートレート撮影◎山本倫子
そもそも私は建築にそれほど興味があったわけでもなく、どちらかといえばファッションの方が好きでした。
デンマークからはじまってノルウエー、フィンランド、北ヨーロッパを中心に海外でいろんなものを見てきましたが、その後、次第にイタリア、スペイン、ドイツなどヨーロッパ各国への滞在も多くなり、窓、玄関ドア、フローリングから照明、家具などの北欧のメーカーはほとんど回って体験してきました。
その後も興味の対象はどんどん変わっていろんな文化が混在してきて、(ユーロJという)会社の名前さえ変えてしまおうかと思ったほどでした。国内では大阪、名古屋、群馬などFCフランチャイズ制もとっていました。独立してからこの歳まで、とにかくいろんなことを経験し突っ走ってやってきました。
HOMANN DESIGN
私にとって先生という方はどなたもいないです。まったくの独学、「師匠ゼロ」です。笑
私がいいと思ったものだけをつくり自分がやりたいお客さんと、自分がやりたい空間で、そしてたくさんやらない。嫌いな仕事はしない。その代わりとことんおつきあいする。
あえていうなら、デザインコンセプトは「色=カラー」でしょうか。素材も大切ですが「色」です。とくに日本人はシンプルに真っ白いのが好きですから、きれいな色を刺していきたいと考えています。
デザインの原図はすべて私が手がけています。イメージですから3Dスケッチをその場で描きます。頭の中で描いている空間をそのままトレースしている感じで線を引くだけです。
お客さんを前にしてその場でこう描いていけば早くないですか?(と、おもむろにえんぴつを持って描き始めた)目の前で描くことが私の特長だと思います。
もちろんディテールについてはまた話をして、社内スタッフが素材や色などを逐一尋ねてきます。お客さんとも納得がいくまで相談します。
穂満氏のプロデュースは住宅の域にとどまらず、マンション、ホテルなど多岐にわたる。鎌倉のモデルハウスや沖縄の貸別荘。SBIグループの不動産関連企業SBIプランナーズとの賃貸マンションプロジェクト「SIMO」では専属デザイナーを担当。2020年には衝撃的なデザインで寺⽥倉庫株式会社の天王洲運河に浮かぶ水上ホテル「PETALS TOKYO(ペタルス トーキョー)」をプロデュースし、衆目を集めた。多忙なハイエンドのお客様には、その場ですぐに欲しいもの(デザイン)を描いてみせることで需要を生んでいるのかもしれない。
30歳代の頃だと思いますが、「モダンリビング」から「住まいの設計」などあらゆる建築雑誌の裏表紙は私の顔で埋め尽くされていました。あの頃は目立ちたくて広告のメディアジャックですね、本屋にいくと全部穂満でしたよね。笑
私がどこかの芸大や美大の建築学科を出ているほうがわかりやすいのでしょうが、建築士でもなく、インテリアデザイナーとして自分がつくりたい箱をつくってきただけなのです。
おかげさまでお客様はハイエンドな方が多いかもしれないですね。出会いにはいろんなストーリーがありました。
ある方は新聞を見て突然来社され、図面を持っていらっしゃるのだから、私はいらないですよね? と尋ねると
「図面を見てもイメージがわかないんだ」と。
そこでその場で11枚くらいイメージを描いて差し上げたら突然その場でデザイン契約したいとおっしゃるんです。あとでスタッフがお名前を検索したら、有名企業の会長さんでした。
私が仕事を持ってきてデザインしているだけで、こんな努力をしたからこうなりましたとは説明ができないのです。
わたしがデザインしたある会社社長のご自宅を見て、そのお友達の芸術家が家を建てたいとか連鎖がおこるのです。運がいいのかもしれないですね。
金融の世界で不動産の運用を学んで、つぎに商業建築に関わることも教えてもらいました。
そんな「人との出会いに感謝」です。
これから
私がこれからやりたいことの一つは、住宅だけではなく収益性がないと思われるものを価値あるものに変えて事業性を高めるビジネスをしたいと思っています。35年ローンのための家を建てるのではなくて、使い物にならないような古い箱を価値のあるものにかえることもひとつです。
デザイン、建築、不動産から、ホテル、飲食、人材派遣などに関わってきましたから、今まで培ってきたものや人脈を運用していきたいと思っています。そのノウハウはあると自負しています。
もう一つ、デザイナーとして彩(いろどり)のある生活のためにクリエイティブ、アーティストをどうやって育てるかが課題です。
絵を描くためにハンバーガーショップで働くのではなく、絵を描いてお金を稼ぐ。陶器をつくる人、絵を描く人、写真を撮る人、彼らのためにチャンスを与えられる仕事ができたらいいなと思っています。
私たちが彼らのパトロンになってソフトを売ることにスイッチしてもらう。
それが私たち空間デザインにかかわる人間の究極の仕事ではないかなと思っています。
創業から順調な経営を続けていたがリーマンショックで多くの事業を削減することも経験した。しかし、事業家として昨第24期では創業以来最高益を打ち出している。穂満慎一が醸し出すもの、それは「成功の匂い」か。その香りに多くのお客様が導かれているのかもしれない。次の作品、プロジェクトが待ち遠しい。