世界でいちばん幸せな暮らしはどんな暮らしなのでしょう。家族みんなが笑顔いっぱいの毎日。海や山の大きな自然。美味しい食べ物、素敵なレストラン。趣味を通じた仲間たち。日本でいちばん、いいえ、世界でいちばんの暮らしがここにあります。ちょっと、ここに住みたくなりませんか。
朝起きて、泳ぎたければ海があり、トレイルランをしたければ山があり、ゆっくりしたければ庭がある。
<神奈川県逗子市>中野健太郎・陽子さん < 2015年4月取材>
「交差点では人に対してかならず車が止まってくれる。人とすれ違っても互いに会釈する。そんなひと昔前の日本なら当たり前だったことが、いまでも自然にできる、逗子はそんな街です」と陽子さん。
中野さんご夫婦は逗子に住み始めてまだわずか4年あまり。なのにすっかりこの街に馴染んでいるのは、海や山の自然環境がライフスタイルにピタリとはまったことと、逗子に住む人々のおかげなのかもしれない。
互いに社会に出るまでは山口と福岡、長崎などで過ごされた。異動などで関東に移り住んだのが川崎というコンクリートの都会だった。「海の近くに住みたかった」のは奥様で、健太郎さんはどちらかと言えば山好きのご夫婦だが、自然がお好きなことは共通している。
川崎から逗子市桜山のアパートに移住したのは2013年2月だったが、東京などの都会にも近く、自然が豊かで人が穏やかな逗子の街に魅せられて、わずか3ヶ月後の5月にはこの土地を取得した。今の住まいで、引越しはかれこれ11回目だという。
逗子の生活は、特にマリンスポーツに狂するというわけでもなく、淡々とした日々をかみしめるようなサイクル。消防という業務のため勤務体制が特殊で職場が好きで大切にしてきたご主人も、今では「早く家に帰りたい」という衝動に駆られるそうだ。そして何よりも旅行が大好きだったお二人が、いつの間にか旅に出なくなったこととも、今のこの生活が充実しているせいだろう。
中野邸の設計施工を手がけたのは、逗子市のシンボル的企業「キリガヤ住宅事業部」だった。ご主人が、この終の住処を得るために掲げたポリシーは「薄っぺらなかっこよさよりも、不要なものは持ちたくない」潔さだった。自然素材と無垢の木に囲まれたこのシンプルな家はその賜物だ。ご主人が作った竣工までの過程が綿密に記された「家づくりノート」は、逗子の街に住むことや、家へ思い入れが残る貴重な家の財産でもある。
「こうしておけばよかった、というところが全くない」という満足度。
「街かどでキリガヤの社長さんとすれ違っても、気軽に手を振ってくれる。僕たちように外から来た人間にとっては、とても温かくありがたい」
まもなくご夫婦には新しい家族が増える。この逗子の街で健やかに育ち、幸せな家族がまた1つ増える。広くそれぞれの街のカラーがある湘南。なかでも逗子はコンパクトだけど「お互いに人が見える街」、中野さんご夫妻は、きっとそんな穏やかさに魅せられたのかもしれない。
「おかげさまで、幸せに暮らしております」とご主人が笑った。
PROFILE 中野健太郎・陽子さん
◎健太郎さん/山口県出身、福岡大学卒業後自衛艦で長崎勤務の後、公務員試験を経て消防士となる。川崎勤務から2013年に逗子のアパート移住、3ヶ月後には現在お住いの土地を購入する。趣味は山登り。
◎陽子さん/福岡県出身。国内大手航空会社勤務のキャビンアテンダント。来年には初めての新しいご家族ができる予定の幸せなご夫婦。